このカナダの学校の厳しい規則、「母国語を一切、話してはならない」を、私は真面目に実践した。
気がつけば、ケベック州(フランス語圏)から英語の勉強に来ているカナダ人学生たちの中にどっぷり入り、英語でワイワイやっていた。 もう一人、日本人男子学生も日本語を全く使わない。彼とともに、現地にどっぷり入り込んでいた。 学校のコースが終わり、ラストパーティがあった。この日のみ、母国語を話すのが許される。この日初めて、この男子学生は東京弁(?)で、私は関西弁バリバリであることにお互い気づき、英語で話す時と違って何かチグハグなのがおかしかった。 ある日本人学生の女性が私のところにきて、直撃インタビューをされた。 「あなたが羨ましい。どうやってあなたのように、現地の人たちの中に飛び込んで、どっぷり入っていけるの」と。 実際、周りの日本人学生は結構、日本人だけで群れていたし、一緒に行動し、学校のルールを破り日本語で会話していた、と聞いた。 私の場合、来る前に日本ですでにかなり勉強して準備していたこともあるが、それだけではないと思う。 「この機会を思い切り生かす」「無駄にしない」という決意、覚悟とコミットメントがあったと思う。 「高額のお金をかけて留学しにきた。このお金とエネルギーを無駄にしたくない」という思いがあった。 実際、仲良くしていたこの男子学生は、英語の勉強はスタートしたばかりの感じだったが、現地の人々に飛び込んでいたし、日本語を話さず、英語のコミュニケーションを行うことに絶えず努力していた。彼の英語力はメキメキ伸びてゆき、カナダ人たちといつも一緒に楽しくやっていた。 (続く) 思い返せば、この口惜しさの体験の積み重ねが、私をここまで押し上げてきてくれた。 そしてそれは今も続いている。今アメリカに移住し、ネイティブスピーカーを目指す私。アメリカや世界、社会のいろんなことや問題などが見えてくるにつけ、意見を述べたい、人々に伝えたい、と感じることが次から次へと出てくる。 しかし、まずは自分の実力が満ちてくるのを待つしかない。とにかくコツコツ勉強を続け、力が満ちてくるのを待つ。 カレッジを卒業して就職、会社を辞めて2年後、カナダのクイーンズ大学、語学学校に数か月間語学留学をした。2年間ほど独学した後だったので、語彙力はかなりあった。 カナダの語学学校の先生も驚いておられた。 しかし私にとって初めての海外生活、コミュニケーションは思うようにいかない。ある白人の先生に、自分の考えを伝えようとするのだが、うまく伝わらない。 「違うのに!」と悔しい思いをしたことも。 私が向かった、カナダのクイーンズ大学の語学学校では、「母国語を話したら本国に送り返す」という厳しい決まりがあった。私はこの規則が気に入って、この学校を選んだ。 「日本人が少ないし、厳しそうだ。英語が伸びそうだ・・・」 留学中、日本人は日本語の使用禁止、ケベックから来た学生たちは母国語のフランス語使用禁止。皆、現地の各家庭にホームステイをするので、家に帰ってからも英語のみ。 私はこのルールを忠実に守っていた。 しかし1か月たったある日、たまらなくなって、日本人の友人の前で大泣きした。 日本語でコミュニケーションしたいレベルまで、英語力がとても追い付かない。ストレスがかなり溜まっていたようだ。 学生仲間に1時間ほど泣きながら日本語で愚痴をこぼした。 思いきり泣いて、聞いてもらったらスッキリして、気を取り直して、また英語のみの生活を再開した。 その後はコースの最後まで頑張った。 この友人はその後、クイーンズ大学に留学した。優秀な人だったので、今頃活躍されているだろう。今どうされているのかな。本当に感謝している。 数か月たって、気が付くと私は、カナダで英語のみの生活を満喫していた。 ホストファミリーからは、「由美子はソーシャルバタフライね!」(社交的で活発な人)と言われた。 ある白人の先生は、「あなたは私よりも、このコミュニティで有名かもね!」 私は英語のコミュニケーションを楽しみ、現地で飛び回っていた。 ハワイ島、ワイメアの風景 ここは学生たちがいっぱい。 英語ペラペラの帰国子女がたくさんいるクラスの前に立ち、ネイティブスピーカ―の先生が横で見守る中、3分間英語スピ―チをしなくてはならない。
もちろん原稿を読むのではなく、自分の言葉でスピーチしないといけない。 これはかなり鍛えられた。 「度胸」が身についたようだ。 スピーチをした後、英語で質問が飛んでくる。それに対しても、英語で答える必要がある。どんな質問が飛んでくるかわからない。それに対する準備もしないといけない。 「恥ずかしい」「間違った英語を話したら恥ずかしい」「トンチンカンなことを言ったらどうしよう」・・・こんなプライドなんてスッパリ捨ててしまわないと、できない。 海に放り投げられて、速やかに泳げない時、かっこつけている場合ではないだろう。とにかく水に浮き、沖に向かって必死に泳ぐ。 思い通りできなかったとき、悔しさ、恥ずかしい思い、それが更なる勉強へのバネになる。 「くそーっ!!」「今度こそ」という思いが、さらに勉強を重ねていく動機となる。 高倍率で、2次で入学できたカレッジ! おそらく、国語の成績が良かったのか、一番トップのクラスに入れて頂いた。 針のむしろの日々が始まった・・・。 クラスには帰国子女がたくさん。英語はペラペラ。その発音は、ネイティブ同然で、とても綺麗。 そんな環境に私はいきない入れられたのだ。 ここは、ミッショナリ―カレッジ。先生方は皆、熱心なクリスチャンの教育者。ネイティブの先生方が教えるクラスもたくさん。 高校まで普通校だった私は、ネイティブスピーカーと接するのは初めて。ましてやクラスが全部英語のみで進むなんて。 まだプールで泳ぐ練習をし始めたときに、いきなり海に投げ入れられたような感覚。辛い・・・ また、アメリカ人はジョークが好きで、話の中に自然とジョークが入る。しかしジョークがわからない。周りが皆、笑っているときに、自分がわからないのは非常につらい。 皆が笑っている中で、内容はわからないけど、その場をやり過ごす。これは、英語の環境に初めて一人飛び込むときに誰もが経験する、辛いひと時かもしれない。 そしてこの「オーラルクラス」には何と、毎回クラスのはじめに、1人ずつ前に立って英語でスピーチをして、英語で質疑応答する、という恐ろしいプログラムがあった。 (続く) 何年か前の、同時通訳ブースで。 英語修行は一生続きます・・・ Happy Anniversary of Our Marriage, Darling! Thank you for your love, protection, care, lots of smile and big heart. I truly thank to everyone who have been loving and supporting us. We are just beginning of our long journey. Wish all couples having a marriage ceremony here in Hawaii and newly weds visiting for honeymoon happy marriage and family life! |
Author
An Interpreter for JCU Archives
April 2021
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