オハイオ、クリーブランドの共和党大会から戻ってきた。
最後の夜は、徹夜となったため、帰りの飛行機では爆睡。 気が付くと、両側の人に交代でもたれていた・・・。ごめんなさい・・・。 ドナルドトランプ氏は、凄い迫力だった。彼は、「王」だ、と実感。会場の熱気もすごかった。 書きたいことはたくさんあるが、まず出張後の宿題にとりかかってから、少しずつ報告したい。 いよいよ、来週いっぱい、オハイオ州クリーブランドで行われる、共和党大会へ向かう。
11月のアメリカの大統領選出総選挙に向け、党の大統領指名候補が正式に誕生する。 アメリカ全土、また世界中から、関係者、政府関係者、メディアがたくさん集う。 この町は、「スーパーマン」が誕生した町だ。 いつもながら、出張準備は、ソフト面もハード面も、いくらやっても終わりがない・・・ 目を通したい内容も、どんどん増えてくる。 いつも、「あー、もうここまで!我はベストを尽くした」で、あとは本番に向け、「エイ!」と飛び込む。 どうか、アメリカ、日本、世界の輝かしい未来にとって、自由、繁栄、平和実現に向け、良きリーダーたちが選出されますように。 アメリカが、その力を善き方向に生かし、日本や同盟国と良き関係を発展させ、真の世界平和に貢献していくことができますように。 大統領を含め、また大統領だけではなく、この時代、正義の味方のスーパーマンがたくさん求められている。 私の上司の饗庭さんも、アメリカの要人たちから、いつも「あなたはスーパーマンだ」と言われている。それを間近で通訳してきた。 しかし、あくまで人肉体をもって生きている私たち。体調管理、精神管理について、自分や周りに対して配慮したい。そして、この大イベントすべての安全を願いつつ、ベストを尽くしたい。 なぜかわからないが、今私の頭の中で、「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングが流れている。 有名なインドの活動家バフグナさんの通訳を引き受けることになった私。「インドの英語アクセント、わからなければどうしよう・・・」会議の日が迫ってきたとき、不安になって、何も手につかなくなった。
当時、私が活動していた地球環境をテーマにしたNPOの事務局に向かった。そこで、「いい話の新聞」を作成、発行していた女性とバッタリ出会った。 彼女は、私の話を聞くなり、「小濱さん(私の旧姓)、成功、本当におめでとう!!!」と満面の笑顔で、握手をしてくれたのだ。 この瞬間、私の不安はぶっ飛んだ。 「バフグナさんと一体となろう。心ひとつになろう」と決めた。 その途端、不安が一切なくなったのだ。 そして当日、会議の前、バフグナさんとお会いした。 「ナマステ・・・」と両手で拝むようにご挨拶をくださった長老のようなバフグナさん、枯れ木のような細い体、しかし、エネルギーに満ちておられた。 その打ち合わせのとき、バフグナさんの伝えたいメッセージが、よくわかった。はっきりと理解できたのだ。 そして本番。 凄いインドなまりの英語であった。 でも私には、バフグナさんが伝えんとしている思いがはっきり入っており、彼と一体となり通訳できた。 途中通訳を交代するはずの2人の通訳者がいっこうに前に出てこない。ついに私が最後まで通訳した。終わってから、駈けつけてきて、「凄かった!」「良かったわよ!」おそらく、あのアクセントにおののいていたのだろう・・・ 打ち合わせなしでは、このインド訛りの英語は、私にも無理であった。 しかし、「成功」のみをイメージしていた私に、必要な情報など、完全なタイミングで入ってきたのだ。 バフグナさんのメッセージは、非常に力強いものだった。会場に集う若者たちに向かって、 「あなたたちは、知恵の泉、溢れるエネルギーの泉だ。どうか、その泉を湧きたたせ、溢れさせ、人生を輝かしていきなさい」 「良き活動をしていくために、私たちにとって必要なこと。 それは、 労働者の肉体、 科学者の頭脳、そして、聖人の精神である」 現在、私の活動の内容は、当時から変化し発展しているが、この力強いメッセージは、今も心の中に残っている。 先日ホノルルに飛ぶことに。
しかし私たちの乗る飛行機が、なかなかコナに到着しない。 やっと来た!長く待っているうちに、ちょっと疲れてきた。やっと搭乗口に並ぶ。 するとその列に、賑やかなグループがワイワイ入り込んできた。「おー。負けるものか」と何とか私も列に入り込んだ。すぐ真後ろにいたそのグループが、明るく元気。そのうちの一人の女性が、何と私の席の隣だった。 「あら、列も一緒だったし、お隣ね!」 「何かご縁があるのかしら!」と言う調子で会話が始まってから、40分以上の短い空の旅だったが、ずっとワイワイおしゃべり・・・ 何て明るく楽しい方なのだろう・・・私が可愛いな、と思う女優の一人、レネー・ゼルウィガーの若い頃の笑顔を思い起こさせる。 何と、終始ずっと笑顔!ビジネスや、少し深刻な話もしたが、常に笑顔で話をされるのだ!これは凄い、と思った。 彼女の表情は、笑顔が基本形なのだ。 今はNYマンハッタンに住んでおられるお嬢さんが先日日本に2週間旅をし、楽しくてたまらなかったようだ。日本が大好きになった、という。富士山、魚の初セリ、相撲場所を生で観戦。日本の美味しいところ、ハイライトを、見事に満喫されたようだ。 この素敵なお母さんも、ビジネスをご主人とされているが、きっとこの愛らしい明るい笑顔ですべてを乗り切っておられるのだろう。 彼女の出身のバージニアのおうちは、私が仕事のイベントで行くワシントン郊外からも数十マイル。「そうそう、あそこにカジノができるんだよね・・・」でまた話が弾む。 明るさいっぱい満面の笑顔は、まさに光だ、と実感。 ありがとう! 10年以上前だったか、ホノルル空港で「イズ」の音楽について店員さんと話していたら、彼女は話しながら涙ぐまれた。 イズが亡くなった随分経っているが、彼は今も、ハワイの人々に深く愛されている。 ある時、地元のビーチで泳いでいたら、近くでのんびり休日を過ごしていた家族は、イズの音楽をBGMでずっと流して、くつろいでいた。 10年以上前、コナの町でイズの音楽をヘッドホンで味わっていた。 突如、ある言葉にならない、圧倒的な思いが溢れてきて、涙ぐんだことを覚えている。 彼のハワイの島々への思い、メッセージが、美しい音楽、歌声にのって、優しく、かつ力強く、心にしみわたってくる。 ハワイの家族たちと、「逝くのが早すぎた・・・本当にもったいない」と話していたことを思い出す。 以下、彼のサイトを見つけた。 http://www.izhawaii.com/ 以下、私の大好きな曲。 YouTubeで見つけた。 Hawai i Aloha - Performed by Israel "IZ" Kamakawiwo'ole https://www.youtube.com/watch?v=Y9WaRcJc-W4 コナの町で、ダディ(アーサー)が属していた男性合唱団のイベント、フラのイベントの最後、皆で手をつないで歌った。 ダディが生前、一緒に家でハモっていたら、横でお母さんが、感極まって涙ぐんでいた・・・。(ダディと私二人とも、主メロディーとハモる部分を両方歌っていたのがおかしかった) ダディの葬儀の後、退役軍人の墓地で、ダディの棺が埋められた場所で、家族皆で取り囲んで歌った。 そして、主人と私の、おうちでの結婚式パーティのエンディングで、カメハメハ王を讃える歌(こちらもハワイ語)とともに、皆で手をつないで輪になって歌った。 ハワイ、アロハ、永遠なれ!! Late Arthur Mahi at home, in Hawaiian attire, Photo by Yumiko Warner
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An Interpreter for JCU Archives
April 2021
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