Messages from Big Island, Hawaii, in Japanese and English
地元のあるホテルの店員さんの女性と仲良くなり、お店に立ち寄ったときは、話が弾む。ハワイ音楽、地元のミュージシャンたちの活躍について、などなど。
中国系ハワイアン?の女性。会うたびに深い話になる。先日久しぶりお会いし、気が付くと、非常に深い話になっっていった。 その後、私はいろいろ考えさせれた。 その夜主人に「彼女との話、深かったー」と共有したのだが、その夜彼女もご主人に、同じことを共有していたそうだ。 私は彼女に、最近日本のある優秀な女性議員が、部下への言葉の暴力などで大問題になり、テレビで取り上げられ、録音された発言映像が広く報道され、彼女は結局、議員職も失うことになった、という話をした。 「こんな議員も困るよね!」と正義感の思いで話をした私に彼女は、こう話した。 「残念なのは、彼女がそこまでになってしまう前に(自分を見失う前に)、もし周りにいた誰かが、一人あるいは複数の誰かが、勇気をもって彼女に向かい、たしなめたり、注意したりすることができなかったのかしら。」 「彼女に目を覚まさせることができなかったのかしら。」 「もし誰からそうできていたら、彼女はそこまでに至らなかったのでは」 私は「ハッ」とした。そして考えさせられた。 彼女は結果として日本社会から制裁を受けた形になった。しかしそこに至るまで、何かきっかけがなかったのか。 言葉の暴力も、手を挙げる暴力も、絶対に許せる行動ではない。 しかし、本人が日々ストレスを溜めていくうちに、不満が蓄積されていくうちに、ついに自らを見失い爆発してしまったのだろう。そこに至ってしまうまで、「ストレス・リリース」「ストレス・マネジメント」ができなかったか。 日本社会のストレスのきつさは私も理解している。 私自身も昔、正社員のとき、ノイローゼほどではなかったと思うが、重いストレスで何も手につかなくなったことがあった。 その日、当時通っていた教会でお祈りし、ボランティアをした帰り、信号待ちしていたら、会社の先輩がちょうどバイクで目の前で止まられたのだ! この方に後日相談し、アドバイスを得たおかげで、自分がつぶれてしまう前に、仕事を変える決断ができた。 (続く) Comments are closed.
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An Interpreter for JCU Archives
April 2021
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