7月にオハイオ州クリーブランドにJCU通訳として参加した。
ものすごいセキュリティだった。これほどたくさんの保安官、警察官を短期間にある場所で見たことはない。 滞在中、とても印象に残ったことはクリーブランドの人々の温かさ。 大会の会場に入るには、規定のパスがないと入れない。そのパスを、入り口付近に立っている多くのスタッフに見せないといけない。「パスをきちんと見せて!」「見えるように首にかけてね!」と言われる。セキュリティチェックは厳しくても、皆溢れんばかりの笑顔。 翌日も会場に向かうと、「Welcome back!」 「あなたたちはどこから来たの?」と白人男性スタッフから入口で聞かれる。「上司は日本、私はハワイからです」と伝えると、「こんにちは!」「アロハ!」とそれぞれに挨拶してくださる。 ホテルからの各シャトルバスには必ず一人警察官が乗り込む。乗客一人一人をチェックし、町の会場近くのチェックポイントに来たら、警察官がパスを見せる。さもないとバスはそのエリアに乗り込めない。 バスが大会会場に近づくと、道路際に並んで立っているスタッフたちが手を振ってくれる。 「東京ディズニーランドみたいだったって」と後で主人に話すと、「アメリカの僕の母がいる町も、皆知らない人にも挨拶してくれるよ」 私たちがいるここハワイ島のある地域でも、そんな場所があった。コミュニティ・チェックが機能していた。人々が地域の安全、セキュリティを互いにチェックし、協力していた。主人と私がその地域を車で通ると、こちらに「ニコッ」と温かい笑顔を向けて挨拶してくれる。 それは、安全チェック、でもある。 (続く) 真夏の最も暑い時期、何と大阪で生れた私。
母は生前、当時、その産婦人科にクーラーがなく、出産の際、私がなかなか出てこなくて辛くて泣いた、とニコニコ語ってくれた。 改めて、この時代に産んでくださった母に感謝の思いを伝えながら、新たな歩みを進めたい。 先日の誕生日、周囲や遠くの方々から、温かいメッセ―ジをたくさんいただいた。心から嬉しかった。感謝の思いでいっぱいだ。 「フォーエバー・ヤング」「万年青年」をキーワードに、年齢、人種、あらゆる地上的なものを乗り越えて、世を照らすお仕事をしていけるよう、頑張ってゆきたい。 主人からは、会った当時よりも、年々、健康的になっていくね!と言われている。主人のおかげだ。ありがとう! 25歳のとき、私は初めて日本を発ち、カナダに単身で向かった。 この初めての海外に向かう前日のこと。父親が寂しくなったのか、急に怒りだした。辛かった。 その夜のこと。 光溢れるビジョンの夢をみた。 おそらく私が向かっていた北アメリカ大陸のある場所あたりから、光が世界中に広がっていくビジョンだった。とても明るいビジョン。 そして何とBGMに、当時よく流れていた音楽、Mike & The Mechanicsの「The living Years」がB流れていた。 BGMつきの夢! "The Living Years" by Mike & The Mechanics https://www.youtube.com/watch?v=uGDA0Hecw1k&list=RDuGDA0Hecw1k#t=15 以下、サビの部分、 「Say it loud, say it clear You can listen as well as you hear It's too late when we die To admit we don't see eye to eye」 「大きな声で、はっきりと伝えていけ。死んだときには、遅すぎる・・・」 翌朝、すっかり元気で明るい思いで起きた私、爽やかに出発した。 このカナダへの第一歩は、その後の私の人生への大きなステップとなった。 カナダのキングストンに到着した翌朝、町のカフェに入ると、何とこの同じ音楽が流れていた。 |
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An Interpreter for JCU Archives
April 2021
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